鳥居民『近衛文麿『黙』して死す すりかえられた戦争責任』草思社、2007年。
本書は、日米開戦前後に内大臣を務めていた木戸幸一が、日米開戦についての自身への責任追及を逃れるために、彼が考え出した開戦に至った経緯を語ることで開戦責任を己から近衛文麿になすりつけ、近衛を自決においやることとなった、という経緯が明らかにされ、日米開戦までに政府内で何が起こっていたのか、という真の経緯を明らかにしようとしたものである。本書では、木戸によって作られ、ハーバート・ノーマンによって受け入れられた、日本がアメリカとの戦争を決定した経緯についての認識は、先行研究の定説となっていることが強く批判される。筆者は、この木戸が考え出した歴史を、「木戸・ノーマン史観」と呼んでいる。「木戸・ノーマン史観」とは、具体的に次のようなものである。
「海軍はアメリカと戦えと説いていたのだと考える単純な解釈、昭和十六年九月六日の御前会議において、首相近衛文麿、海軍首脳、外務大臣が望んでいた真意を見極めようとしない姿勢、そして内大臣の木戸幸一に許されていた手段と選択の幅を考え直してみようとせず、内大臣が政府と統帥部のすべての望みを無視して、かれが直面しながら解決しなかった重大な過ちを顧みないできた自己欺瞞的な態度」(p6、l4)
現在の日米開戦についての定説では、日本は1941年9月6日の御前会議の決定、そしてこの会議において定められた「帝国国策遂行要領」で日米開戦への日程表が組まれたとされるが、これこそが木戸によって歪曲された史観であるという。木戸は、1941年9月6日の御前会議が戦争会議であったとノーマンに伝え、主催し指導したのが近衛である、とした。しかし、実際の9月6日の御前会議は、戦争会議とはいえないものであり、首相、外相、海相らは、日本が中国から撤兵するという日本の譲歩をアメリカに告げ、日米開戦を回避したいと願っており、アメリカとの交渉に見込みがなければ、それから開戦準備をおこなう、と決定された、とする。
近衛は日米開戦を避けようと努力していたが、陸軍はアメリカとの戦争を望みはしないが、陸軍大臣は中国から撤兵することに納得せず、また海軍大臣は、海軍の士気をくじくことや、陸軍に中国からの撤兵をさせることで、中国での戦争に勝利を収められなかった責任を陸軍が海軍へ責任転嫁するのではないかと危惧し、日米開戦を避けたいとはっきりと明言出来ずにいた、とする。このような陸軍、海軍の事情を承知し、天皇に対し助言する立場にありながら、日米開戦を避けようと動かなかったのが、木戸であったのだ、とする。木戸は、陸軍の中国撤兵による陸軍内の人事によって引き起こされる自身の政治生命に対する危惧より、天皇に働きかけることをしなかった。木戸の助言によって、天皇に陸軍への説得を求めていたならば、日米開戦へとつながることもなかったのである。以上が、鳥居氏が本書で述べている主張である。
本書では、木戸幸一の不作為の罪が強調され、影響力があまりないと考えられていた内大臣の影響力が重視されるなど、当時の政治制度、政治過程の研究に多くの示唆を与えているように思う。また、日米開戦に対する先の戦争についての研究は多く行なわれていると思うが、資料の制約がどうしてもあるのが現状であろう。鳥居民氏の議論は、資料に多くよりながらも、資料がないことで推察も多く、裏づけが乏しいように感じさせ、新たな定説を提示しているとはまだいえないように思う。しかし、鳥居氏の、資料の裏を読むという、大胆でしかし無理がない推論は、資料偏重の歴史研究に新たな刺激を与えているのではないか、と思う。
(間戸安奈)
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